人に親切にして見返りを求めるのはいいこと悪いこと?
ちょっとした親切心で人にいいことをする。でも心のどこかで見返りを求めている自分がいたりします。これってどうなんでしょう。
自分通知表
これは意識せずとも自然にやっています。あー今日頑張ったなぁとかこんなんじゃダメだオレとか自分通知表に無意識に採点しているわけです。できればいい成績にしたいわけです。
人の話を聞いてあげたとか、道に迷った人に丁寧に教えてあげたとか、些細なことでもいいことしたなと自分通知表に+評価です。
いいことをすると自分に返ってくると言います。もう生まれてから300回は聞いた日本で古から伝わる名言です。実際日本人は親切な人が多いって外国人の方からよく聞きます。そういう文化の中で育ったのは幸せです。
学生の頃、財布を拾って交番に届けた次の日パチンコで大勝ちしました。あぁこれは昨日いいことをしたからだなって本気で思いました。占いとか霊とか信じるタイプでもないんですけど、やっぱりいいことすると自分に返ってくるんだーって気持ちは強くなりましたね。
まぁこれはたまたまジンクス通りになった結果を脳が鮮明に記憶しているだけで、実際にはなにも見返りのないことも多々あったはずですけどね。
それ以降いわゆる「いいこと」をして人を助けたりすることを心掛けていました。例えば誰も見てないところで川原のゴミを拾ったりとかね。これでひょっとして宝くじが当たったりするんじゃね?とか思いながら。
でもそんな中、その自分に返ってくるという見返りばかりを求めていいことをするのにためらいがあった時期がきます。
見返り欲しさに善行を行ったところで、それって善行なの?見返りが欲しい自分の欲丸出しじゃない?むしろ自分通知表にー評価なんじゃね?と。
こんなの親切なんかじゃなくむしろ自分の欲望のための行動じゃないかと思いました。
見返りを全く求めず、純粋に人助けをできる人間は本当に素晴らしいと思います。だけど僕はそこまでの人間になれるほど豊かな生活を送ってるわけでもないのです。心の中ではこんなことしたんだからきっと自分にいいことがあるだろうという計算している自分が嫌になってしまったのです。
電車の席一つ譲るのさえ、「あぁまたやましい考えで偽善行動しようとしてる」とか考えちゃって結局譲らなかったりしました。
でもある時気づいたんです。
僕がどれだけやましい心で見返りを求めようと、相手がなにか損するわけではない。むしろ助かってるだけじゃないか。相手にとってマイナス面はなにもないんです。それならやった方がいいという考えに変わりました。
それからは逆に「見返りがきっとあるぞ」というモチベーションを大きく出してがんがんいいことしようと逆に思うようになりました。自分のため自分のためと思って多少めんどくさかったり恥ずかしかったりしても人を助けるようにしています。
相手が喜んでさえくれたら自分通知表は+ですよ。
ただし見返りを求めるのは心の中で
直接相手に見返りを求めるのは絶対禁止です。それは人助けでも善行でもなんでもなく、ビジネスです。あくまで心の中で、他のこととして返ってくる見返りを求める場合の心構えです。
例えばお金に困っている友人がいたとして、借用書を作ってお金を貸してあげる。たしかに友人は助かるでしょうが、それはどっちかというと契約であり、ここでいういいこととはちょっと違います。あの時金貸してやったんだから…とかいう見返りを求めるのも違います。こういう場合はお金はあげたものとして、他で返ってくることを密かに期待するんです。例えば後々FXで儲かったのはあのときあいつ助けた分を神様が見てくれていたんだなーみたいな感じです。
自分に大きなリスクを背負ってまでする人助けはまた話がちがってきますが、見知らぬ他人相手に、ちょっと時間を使うくらい、ちょっと体を動かすくらいのことなら密かに見返りを求めてどんどんやっていくようにしています。
ほんとに見返りって返ってくる?
ここで話しているのは心構えの話であって、本当に返ってくるかどうかは分かりません。全く関係ないところでラッキーなことがあったとして、あっあの時の善行が返ってきたのかしらとか思うことが積み重なって、人に優しくできるようになればいいなと思います。
まとめ
ほんとに自分にもいいことが返ってくるかどうかは別にして、心の中だけで見返りを求めて人を助けるのはむしろどんどんやるべきだと思います。「悪い人」より「いい人」になりたいですから。