子供の人生の流れを狭めない育て方
大人になるまでの人生は川だと思う。うまく流れるためには親はどの程度の手助けをすればいいのでしょうか。未だに試行錯誤の僕の考えを書いておきます。
川の大きさはその子の世界
生まれたときは山頂からのちょろちょろ湧き水で、しばらくは坂道に沿って流れるだけ。とはいえ障害物で進めないときは真横にいる両親が取り除いてくれます。
やがて保育園にはいり、他の湧き水達と合流し、川幅が少し広がります。幼稚園、小学校と進むにつれ、やがて小川になります。
川幅はその子の世界であり、人とのつながりの大きさです。生まれたばかりの頃とはちがい、まわりを含めた「川」となった子供の人生に踏み込むことはたやすくありません。
中学、高校とその流れはやがて大きくなり、途中に分岐も何度かあり、1級河川2級河川へと流れ、海へとたどり着きます。
両岸の両親のできること
両親はずーっとずーっと真横で子供の流れを見守っています。
湧き水のころは小さな障害物があってもすぐ真横なのですぐ取り除いて小さな流れを絶やさないようにすることも簡単です。
川幅が広がってきても、ずっと真横で両親は付き添っているのは変わりません。流れが急なところでは支えてやり、段差をこえるため手助けをします。
手が届かなくなってきても棒でつつくなり、できる限りの手助けをします。
そうしているうちに子供はなんとかでも流れていくことができ、合流を繰り返し大きな河川になっていきます。
両岸でいまだに見守っている両親もだんだんと手が届かなくなっています。かといって川にズブズブはいり、子供の世界を汚して流れを止めることはよくないです。
つながりを消すことは狭い流れになることになり、河川が汚れると淀みになり、流れなくなってしまいます。
沸き水の頃とはちがい、もはや子供には子供の世界ができています。その世界、つながりに踏むこむことなく、たまに端っこに来ちゃったときは真ん中に押し戻すくらいが一番ちょうどよく流れるんじゃないでしょうか。
そして見守ることができるのは社会という大海に出るまでです。その後は岸に取り残されたが如く、荒波に揉まれるわが子を祈るくらいしかありません。20年近く、あるいはそれ以上見守ることは大変だと思います。でも所詮親にできるのはその程度のこと。あくまで流れていくのは子供本人であり、道を決めるのも本人です。
ちょっと目を離した隙に淀みにつかまったら新しい流れの道を作ってやればいいじゃない。
必ずしも大きな川に行かなくても、途中で干上がることなく海にたどり着けばいいじゃない。
もしくは行きつく先が池や湖だったとしても、そこが居心地よくて愛されている場所だったらいいと思います。
色々な流れにのって自分の川幅を広げることで、様々な分岐や障害を経て成長して河川になります。
最初から全て両親が穴を掘って流れる道を全て決めることは、その子の世界を狭め、可能性を狭める結果になります。理想の道を親が作るのではなくて、間違った方に行かないように岸からできる程度の手助けが子供を成長させるんじゃないでしょうか。
細くてもつながりを壊さない
つながりと言うものは人と人だけのことではありません。新しいことをやったり知ったりすることもその子の世界を広げるつながりです。
習い事をさせたり、色んなところに連れて行ったりというのも、つながりが増え川幅が広がるでしょう。
でも
「ゲームはしちゃダメ」「あの子とは遊んじゃダメ」「勉強に関係ないことを考えるな」
これじゃどんどん狭い流れの川になってしまいます。禁止して断絶するのではなく、勉強が楽しくなるような流れに乗せるべきです。ご褒美にするなり、競争相手にさせるなりして、つながりの糸は細くてもいいから持たせてあげましょう。子供は大人とちがって割り切ることが難しく、そのほそーいつながりの中で生きているんです。
僕の子供は今小4です。彼女はまだまだ小さな小川ですが、学校、僕の両親や親せき、近所の人、習い事などのつながりが増えてきました。この細いつながりを絶やさぬよう川幅を広げてやりたい。やがて大きな河川になる日も近いでしょうが、海に出るまではせいぜい真横をついていってあげますよ。